プログラミングに必要な能力ってなんだ? おそらくコーディングの能力などは たいして重要でない (それは必要ないという意味でいっているのではなく、 誰でもすぐ身につけられるという意味で) ので、 以下の 3つにしぼられるんではないかと考えている。その能力とは:
問題を発見する能力
問題を分析する能力
そして
問題を切り捨てる能力
である。
実は、これらは設計の時だけじゃなく、実装する時でも ほかの日常生活のすべての瞬間においてもつねに求められている。
消えかけていた大相撲に活気と生気を与えたのが、外国人力士の登場であった。「内無双」とか「大網」などという技を、朝青龍関によって知った。新風によって伝統が復活した。
もはや心から大相撲を楽しむことはないだろう。貴乃花親方の理事就任に何かを期待する人もいるが、私はそんな期待はてんから持たない。貴乃花親方へのインタヴューの発言を見よ。これが、何かを成し遂げようとする人の発言であろうか? 朝青龍関との違いは、自分の言葉で話す人と、他人の入れ知恵やクリシェでしか話せない人との違いである。朝青龍関は、外国語である日本語を使ってさえ、はるかに生きた日本語を使えるのである。
こうして日本の伝統的文化の一つ一つが、私の中で消えていく。伝統は「純化」することによってはますます委縮し、枯渇してゆくものなのだ。真剣な交流がないところに生命はないからである。
それにしてもハイチの連中もどうしようもないね、地震一つでこのざまかい。これだから後進国の連中は。しかも準備も何もしてなかったってんだからねえ。あきれるよ。しょうがないから少し恵んでやるが、こっちだって慈善でやってんじゃねえんだから(って慈善だけど)、いちいちあてにされちゃ困るんだよ、さっさと自力でなんとかできるようにならねえと、二度目はないぜ。
– Irresponsible Rumors 2010永井均のニーチェに関する本を読むのは『これがニーチェだ』に続いて二冊目、内容的には目新しいところはそれほどなく、パフォーマティブな変奏曲集という感じだ。
何度目の当たりにしても、現在公認されている倫理や道徳というものが、ルサンチマン[現実の行為によって反撃することが不可能なとき、想像上の復讐によって埋め合わせをしようとする者が心に抱き続ける反復感情]…





