the world according to sugi

プログラミングに必要な能力ってなんだ? おそらくコーディングの能力などは たいして重要でない (それは必要ないという意味でいっているのではなく、 誰でもすぐ身につけられるという意味で) ので、 以下の 3つにしぼられるんではないかと考えている。その能力とは:
問題を発見する能力
問題を分析する能力
そして
問題を切り捨てる能力
である。
実は、これらは設計の時だけじゃなく、実装する時でも ほかの日常生活のすべての瞬間においてもつねに求められている。

2010/2 (a)

消えかけていた大相撲に活気と生気を与えたのが、外国人力士の登場であった。「内無双」とか「大網」などという技を、朝青龍関によって知った。新風によって伝統が復活した。 
 もはや心から大相撲を楽しむことはないだろう。貴乃花親方の理事就任に何かを期待する人もいるが、私はそんな期待はてんから持たない。貴乃花親方へのインタヴューの発言を見よ。これが、何かを成し遂げようとする人の発言であろうか? 朝青龍関との違いは、自分の言葉で話す人と、他人の入れ知恵やクリシェでしか話せない人との違いである。朝青龍関は、外国語である日本語を使ってさえ、はるかに生きた日本語を使えるのである。
 こうして日本の伝統的文化の一つ一つが、私の中で消えていく。伝統は「純化」することによってはますます委縮し、枯渇してゆくものなのだ。真剣な交流がないところに生命はないからである。

ララビアータ:朝青龍関の引退

それにしてもハイチの連中もどうしようもないね、地震一つでこのざまかい。これだから後進国の連中は。しかも準備も何もしてなかったってんだからねえ。あきれるよ。しょうがないから少し恵んでやるが、こっちだって慈善でやってんじゃねえんだから(って慈善だけど)、いちいちあてにされちゃ困るんだよ、さっさと自力でなんとかできるようにならねえと、二度目はないぜ。

Irresponsible Rumors 2010
前田司郎『愛でもない青春でもない旅立たない』

愛でもない青春でもない旅立たない (講談社文庫)

脱力系のユーモアと、底抜けにラディカルなシュールさが特長の劇団五反田団を主宰する前田司郎の処女小説が文庫されたというから読んでみた。

主人公の「僕」は大学5年生。何かに夢中になることもなく、学校もバイトもさぼり気味、恋愛もまた流されるまま。そんな怠惰な日常を描いた私小説的な[主人公が住んでいる場所や通っている大学のある場所が著者自身と共通している]


終わりの先

a phony sun - IMGP0535

何度か目がさめたうちの一番最後になりそうだと思ったのは、カーテン越しに射し込む日射しや身体のけだるさからで、Macを開くと、まだ焦点のあわない目に”13”という古い友達のように見慣れた数が踊った。ふうとため息をつき、こぼれた意識を拾い集める。


ネコミューン

IMGP0521

予報は曇りと雨の間を二転三転。どちらかを気にしてもあまり意味はなくて、要はいつ降ってもおかしくない、おそらくは薄暗い日だ。案の定、江戸川にほど近い東京都の端、都営新宿線の篠崎駅で降り立ったぼくを迎えたのは雨だった。冷たい雨だ。


永井均『道徳は復讐である -- ニーチェのルサンチマンの哲学』

道徳は復讐である―ニーチェのルサンチマンの哲学 (河出文庫)

永井均のニーチェに関する本を読むのは『これがニーチェだ』に続いて二冊目、内容的には目新しいところはそれほどなく、パフォーマティブな変奏曲集という感じだ。

何度目の当たりにしても、現在公認されている倫理や道徳というものが、ルサンチマン[現実の行為によって反撃することが不可能なとき、想像上の復讐によって埋め合わせをしようとする者が心に抱き続ける反復感情]


ホームスイートホーム

IMGP0511

京急空港線羽田空港のひとつ手前天空橋で下車する。空港線が名前通りほんとうに羽田空港に延伸する前には、羽田空港とか羽田という名前を名乗り、象徴的な役割を担っていた駅だ。


基礎科学の研究は人類の文化の主要部分であり、ある程度の経済的余裕のある国家には(国家の利害とはまったく別の次元で)基礎科学研究を支援する義務がある

Hal Tasaki’s logW 0911 
コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『ザ・ロード』

ザ・ロード

久しぶりに心がうちふるえる読書体験だった。

世界の終わりを描いた文学作品は数多くあれど、これはその中でも究極的に苛酷な状況。


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